2012年12月25日火曜日

12月末某メリークリスマス

もう12月も終わりだし2012年も終わってしまう雰囲気が出てきた。
1年があっという間だなぁ。
ついこないだまで1年前だったのになぁと思う。
すごく寒くて一人ぼっちで友達に嘘でもいいからもっとモテそうな顔しろよとか言われてたのになぁ。
なんか色んな事が静かに息絶えた一年だったなぁという印象です。
人生を折り返したなって感じがする。

あんまり語るべきことがない。
相変わらず仕事が忙しい以外の近況を誰かに報告出来ていない。
もちろん他の様々な出来事を話すことが出来ればいいなと思うが、仕事が忙しいということにしていたいという私の弱さが以下略。

仕事が忙しいというのはまったくの嘘じゃないし実際忙しいんだけど、そういうの以外で自分を語ることが出来る日がくればいいなー来なくてもいいんだけどもさーという感じです。

実はすごい長文を書いたが消した。
語るべきことが無いし伝えるべきこともない。
文字にして誰かと分かち合いたい何かなどほとんどない、とか言いながらブログ書いてる矛盾がすごい。

大丈夫、少しずつちゃんと死んでる、問題ない。
大丈夫、これでも去年とは比べ物にならないぐらい幸せだし、問題ないというべきなのかも。

来年の展望が特にないなー。
もしかして突然全体的に何もかもが嫌になってどっか行っちゃうかも、みたいな予感だけはあるけど。
イメージできないことが多すぎるのだよなぁ。いいことなのか悪いことなのか決めかねてるし決まらない内はなんにもしないと思うけど、ある日その時が来るんだろうなーという予感だけがある。
来年、誰か何か重要なことがあるような気がするしなんも無いかもなっていう気もする。
よくわかりませんし、語るべきことはやはり何も無かったいつかのメリークリスマス。

2012年11月25日日曜日

11月末某日

センチメンタルに流されるのにも体力とか無知がいるんだな、って日曜日の夕方に時々思います。

お馬鹿なことだけ言ってやって騒いでたいのだわー。
お釈迦でいいし、どうせあと50年ぐらいの内に死ぬ。あーできたら30年ぐらいの内に死にたいが。
いやまてよ、仮に結婚とかしちゃって子供とか生んじゃったら子供が30歳、今の私ぐらいの時に死んじゃうのか。いいんだか悪いんだかわかんないな。

将来と呼ばれる時期に差し掛かっているのに、これといって何かを頑張る気になれない。
もうそういうの全部スルーして仕事も辞めて何処か田舎にすっこんで農業でもやりたい気持ちですよ。
虫嫌いなんだけどさ。
今ものすごくめんどうだなと思う案件が、仕事も含めて5件ぐらいあると思うのだがたぶんそれ真面目にやらんとあかんやつなんだろうなって思います。
面倒な事こそ真面目に真剣にちゃんとしないといけないんだろなって思います。
でもやる気がでません。というか、それ本当に大事なことなんだろうかという疑問すら感じる。
自分が今までやってきたことに対して後悔はしていないけれど、何一つ成し得てないしというかだいたいそんなたいそうな人生だろうか?
情熱みたいなものが失われてより千年は経過してる。
そしてそういう情熱みたいなものじゃない何かを運用して私は日々を過ごしたい。
もっとこうなんだろ、日々の平和を?何もない日々を慈しむみたいな?
まだよくわからないので死ぬまでの間に見つかるといいなと思います。


山はいいよなぁ。
生命力に溢れてる。
そして死というものを身近に感じる。
静かなのに音がたくさん聞こえる。







過ぎたるは猶及ばざるが如しだよ。
もう全部忘れていくべき。
その、恋だとか愛だとかそういう感情的な名詞は全部忘れなさい。
幸福とか人生とか仕事とか生活とかお金とか。
全部忘れて私とハンバーグをこねて暮らしましょう。
或いは私のこともあなたのことも、やはり同様に忘れて暮らしましょう。
忘れられても全然構わない。
忘れないでいることで失われる何かに比べたら、全然ましである。
といった考え方は少し排他的であるのかもね。

きみのーぼくよーここらーでちょっときみのーぼくにーあえてーこーそー
かどをーまがるーじひがーなーぜーかーまちのーばかにーすかれーたーらー

2012年11月19日月曜日

throw

さっきお風呂の中で考え事をしていたんだけど、何について考えていたのか忘れた。
たぶんこんな感じだったかな、というようなことをこれから書き連ねる。

忙しさのピークも過ぎて落ち着いてきた。
落ち着いてきたのでそろそろ考え事をしてもいい時期だと思った。
自分の好きなものやライフスタイルというか人生について。
色んな事に流されて生きてることについて。
まぁそれはいいんだけど、昔はもっとタフだったし芯みたいなものがあったんだけどなぁとか。
丁寧に生きてないし雑なのに、他人にすっかり厳しくなっちゃったなーとかとか。
素敵なおねーさんになりたいのに段々見た目に気を使わなくなってきたなーとか。
昔は可愛いって言われたりしたのに最近言われないなーとか。
まぁそりゃそうだよなぁとか。
香水また付けようかなとか。
何を選んで何を選ばないでいるべきかとか。
一人で生きている時間についてとかこれから過ぎる時間についてとか。
自分の今まで全部全部過去なんだなーとか。


ワイン飲みたいなと思いながら日本酒飲んでる。
ワイン飲みたいんだけどね。
ワインのみたいなーワイン。
地下に降りるようなバーで誰かの横顔ぼんやり見つめたりしながら。

2012年10月30日火曜日

徒然140字以内

ハロウィンもクリスマスも正月もバレンタインもホワイトデーもゴールデンウィークも七夕も盆ある意味防ぎようがないイベントだけど、誕生日だけは明かさなければ防げるという意味でも誕生日は特別だなって思う。
別に誕生日はイベントじゃないけど。
祝福を与える必要条件は満たしてると思う。



2012年10月29日月曜日

それでは臨時ニュースです。

久しぶりに一冊の本を読破することができた。
私の中でかなりのビックニュースだ。
かれこれ1年以上も本を読み切ることが出来なかった。
文字を読むことはできても何一つ頭に入ってこない状態が続いていた。

物語が終わった時、なんとも言えない感慨を覚えた。
いや言い過ぎた。
あ、終わったって感じだった。

これでまた新しい本が読めるようになるんだろうか。
まだ予断を許さない感じだけど読めるような気もしてきた。
昔読んだ本も読み返したい。

そういえば1年ぐらい前、三四郎を読んでいた。
人から借りてた本だしと思って読み進めてたけど物語が全然頭に入ってこなかった。
まぁその後色々あってラスト10ページぐらいのところで持ち主に返した。
 たぶん、三四郎はもう二度と読まないし結末も特に知らなくてもいいけど三四郎ぐらいメジャーな物語の結末は、ほっといてもいつか誰かが教えてくれたり、インターネットで目にしたりするかもね。

その三四郎を最後にまったくもって何も読めない日が続いてたけどついに読みきったなー。
 これは何かの良い兆候だといいな。
とりあえず夕食にも祝福を与えようと思い、肉厚なベーコンをじっくり焼いて、目玉焼きを作って食べた。
なぜなら目玉焼きがすごく好きだから。

1年前若草山に登って撮ったしかたん。
またそろそろ行かなくっちゃなぁ。

2012年10月28日日曜日

still

dogyear名義でこのブログ書いてるのもなんか不思議な気がしてきたけど、12534532も結局のところはdogyearであり私なのでどうでもいいのでした。

やっと仕事が一段落したように思う、というかひとつの流れが終着しただけというか。
あまりいい終わり方しなかったし、なんだったら全然終わってないんだけどね。
まぁとりあえず終わったことにした。
最悪な雰囲気のまま保留にしてた私だけしか出来ない仕事に戻る。


たまってたフィルムを現像にだしたら桜の写真が出てきた。
夙川に行ったのだよなぁ。
いいとこだった。また来年、時間があれば行きたい。
行きたいところが多すぎて行けなくて寂しいみたいなの最近減った。
もうだって全然時間なくてゲロみたいなんだもん。
寂しいとか考えただけでヤバイ。
そういう不安定になる感情に対して面と向かって向かい合えるような心の余裕があるはずもない。
こういうの望んでたわけじゃないんだけど、坂を転げるみたいに仕事ばっかりする大人になってしまった。
心を弱らせると命取りになるような日々がずっとずっとずっと続いているので、寂しいとか思ったとしてもまじで向き合ったらヤバイ。
それに実際そんなに寂しくもない、悲しくもない。
もしかして心が死んだのかな?ってたまに思うけど。
どうなんでしょ?どちらせよ、メランコリックになるには私はババアになりすぎてる。

先日すごい重い荷物を持って歩いてたら壁に激突した手がうっ血しはじめた。
かわいそう。
綺麗な手なのに、とさすってたらあまりにもガリガリな手であることに気づいてヒッってなったけど、手を太らせるなんて無理だしなぁって、悲しくなったよ。
寂しくはないけど、時々はやはり悲しくなるものだね。



これは夏の夜の中之島公園。
夏の真夜中の中の島公園は、芝生に寝転んで寝てる人がたくさん居ました。
私も寝転んで蚊にさされまくりましたが、それもいい思い出です。

2012年10月8日月曜日

特になし

1週間に1回ぐらいは何か書かねば…と思いながら、これといって最近何もないですね。
仕事は相変わらずです。
あと3週間は死が続くこと確定しています。
こんなにも長い間死んでいるのは久しぶりです。
でも人生よくわからないもので、死んでる時にこそ良いことがあったりします。
わけわかんないけど兎にも角にも死につつも安定した日々ですね。
安定した死が供給され続けている日々ですね。
こーゆーのっていつか終わるのかな。もちろん、私が死を拒むことが前提なんだけど。
何かを拒む事が昔からとても苦手なんですよね。
なんでもかんでもすぐ受け入れちゃう。
とりあえず受け入れちゃう。
人間的にとても弱い。
何かを拒むには正当な理由が要るんじゃないかと思うわけです。
で、今やってる仕事を拒む正当な理由など在るはずもなく毎日死んでる。
昔はそういうことにイチイチ絶望したりもしたけど、今この手の中にあるものが全てではないし絶望してる暇がない。暇がないけどちゃんと絶望するし、もう取り返しの付かない時間が過ぎたけどどうすんのよ、みたいなこともある。
にしてもやはり今この手の中にあるものが全てじゃないしなーーあーデートしたいなーーって思って終わり。
いや終わっちゃいかんし現状は打破していかないといけないんだけどもさ。


今年は彼岸花見に行けなかったな。
去年も見に行ってないんだろうな、10月の記憶が悲しいぐらいないので何も思い出せないけど。
思い出せないことは忘れていいし全然忘れようとしないのはよくないですよまじで。マトモじゃない。


あぁ、のんびり死んでのんびり生き返りたいなあ。
誰かの腕の中で温かく死んだり生き返ったりしたいな。
イメージの世界でだけでも。いや、現実的にも。


おねーさんはそろそろおでんを食べにいきたいし熱燗飲んだりしたいです。



2012年9月30日日曜日

時の洗礼を受けても尚美しい物以外に、如何ほどの価値を与えるかについて考慮していきたいと私は考えている。

時の洗礼を受けても美しいものは私が美しいと思わなくても美しいだろう。
でもそういうのではなく、自分で選んだものに対してしっかりとした価値を与えたい。
そういう事をしないと、失われてしまうんじゃないかなって漠然と思うのです。

何が失われるのか。
失われるというか、得られないものがあるんじゃないか―、みたいな感じかしら。
うまくそこはまだ理解出来てないんだけど。

例えば着る服や履く靴に関して。
もう1ヶ月に何着も服を買うような、そういうのうんざりなんですよね。
さすがにうんざりしてきた。
服飾業界に勤めてたった1年でうんざりしてきた。
服のこと好きだし、素敵な服を見る度ときめくけど、部屋が狭いし収納に限りもあるし何より金に限りがありすぎるので全部を大事にすることも、本当に欲しい物を全部買うことも無理なんですよ。
ありとあらゆる欲望に対して選択を迫られる。
ジーザス。

もう賢明な読者各位はわかっておられると思いますが、今すっごい当たり前の結論をくっそどうでもいい起点から導き出そうとしています。
時々そういうことしちゃうんですよ。結論は至ってシンプルで当たり前で考えるまでも無いことなんだけど、複雑な迷路(というか怠い何か)を通らせることによって何かしら特別な意味が生まれるんじゃないか、みたいな淡い期待(ほぼ無意味)。

でも今回は結論より起点が大事だったんです。
誰もが分かる物事の価値よりも、自分自身が物事の価値を決めるべきなんじゃないか?ってことが。何をどのように選ぶかってことを、決めるっていうかさ。
そういうのって皆様もっと若い頃に無意識に考えてお決めになられるんだと思うんですけど、その頃私ちょっとやりたいこと多すぎてやることも多すぎて忙しくてほとんど何も考えられなかったのよね、オホホって今もあんま変わってないんだけど。

たくさんの服を捨てるにあたり次は大事にするからねって言うのなんか別れた男に、いえなんでもありません。

昨日もなんとなく書いたけどさ、私は自分自身を見つけたり失ったり誰かと分けたりして生きてみるのも悪くないのかもねって思い始めた所なのです。あ、もう齢31なんですけどね。

書き始めと書き終わり、途中で人と話してたというの相まって切れ味変わってつまんなくなっちゃったな、と反省しています。

いいですか、
物語に銃が登場したら血が流れるように人生に大切なものが登場したら、

 全然関係ないですけど曽爾高原行きたい。

休日の朝少し早起き、といっても平日と同じぐらい、するの悪く無い。
カフェ・オレを入れてスコーンを食べる。
疲れないことの大切さたるや。


今度カフェ・オレボウルを買おう。
紅茶茶碗も欲しい。
兼用すればいいじゃない。

そして私は今からトウモロコシを茹でる。

台風の前の日

今日は何もしなかった。
ちょっとだけ部屋を掃除したり要らない服を捨てたぐらい。
素晴らしい気分だ。
昔よく感じていた寂しさみたいなものを久しぶりに感じた。
一人で約束も無くて声も出さないでジッとしているときに感じるアレだよ。


しかしながら寂しさというものの中に身を置かないと感じ取れないことがある。
寂しさはたぶん弊害で、寂しさなんてなくても感じ取れたら最高なんだろうとは思う。
でもそういう風に生きてこなかったからなぁ。
愚かだとは思うんですがどうしようもない、今のところ。


もう秋だなぁ。
あと2ヶ月もしたら枯れたプラタナスの葉を踏んで冬を迎える事ができるんだろうか。
私はいつも誰かと一緒にプラタナスの葉を踏みたいと思っている。
でもそういうことを上手く他人に伝えることが出来ないまま大人になってしまった。
伝えようと努力するんだけど、プラタナスの葉を一緒に踏むことの意味というのは人それぞれだし、それを強要するわけにもいかないし。
あるいはいつかの記憶を私は再現したいだけとか?
いやそういうのとは違うんだけど、好きなんだよあの枯葉の感触が。
うまくいえないんだけど。



とにもかくにも今年の秋はなんかよさそう。
仕事ばっかりしてないで、うつりゆく季節やら変わったり変わらなかったりする人を見てられたらいいなと思う。
そして私も自分というものを見つけて馴染んでいけたらいいなと思う。


2012年9月23日日曜日

you don't know what love is

このあいだ東京に行った時、可愛いインコのブローチを見つけた。
私はインコのモチーフが好きなので、可愛いのがあるとすぐ買っちゃう。
でもその時は時間がなかったので次見に行った時に買おうと思ったけどもう無かった。
可愛かったのになぁ欲しかったなー残念だなーと思ってて、今日ふと寄った店に同じブローチが売っていた。
でもなんか全然欲しくなかった。
いや、きっと欲しかったはずだからと手に取ってしばらく見つめてみたけど全然欲しくなかった。
あんなに欲しかったのに。
一度手に入れ損なったものが再び手元に転がり込んできても、もうあの時の気持ちは無いんだなーって哲学めいたことを思いました。

はーしんど。

秋なので3ヶ月ぐらい休みをとって本を読んだり手紙を書いたりしたい。
そうね、手紙を。



この時期になるとどうしてもチェット・ベイカーが聞きたくなります。
この曲はチェット・ベイカーの作った曲ではないけど、チェット・ベイカーが歌うこの曲が好きです。
私が生まれる40年も前に書かれた詩とメロディー。
美しいですね。

実に秋ですね。

2012年9月3日月曜日

things are so clear and good to be loved

ついさっきまで書こうと思っていたことがあったんだけど、先に洗濯物でも干すかとしている間になんだっけ?となった。
あーまたどんどん失っていくんじゃんかよーと思った。

朝iPodから久しぶりにno starが流れてきて、やはり原点はシーガルだなぁーとか思ってた。
地下のライブハウスで音楽を聞いたりお酒を飲んだり男の子と目だけで微笑みあったりする日々が今の私の、じんわりと退屈な日々を作ったんだと思うと考え深い。
そしてこの先どれぐらい多くのことを失えばいいのかよくわからない。
でも全然悲しくない。

私は服を買うのがすごく好きなんだけど(ちょっとどうかしてるぐらい)、今日も欲しい服があったので袋から出して広げたり触ったりしていたら女の子が近づいてきて「また服買うんですか?もしかして浪費家ですか?」と聞かれたんだけど、そうですねぇとか答えてたら「どうしても欲しい服とかないなぁ。」って。
「今は服とか物にお金使うより、人と会ったり美味しいもの食べたりお花習ったりしたいなぁ」って。
よくわからないんだけど、私ものすごく色んな人と会うし美味しいご飯食べるのも作るのも好きだし、習い事はしてないけど美術館行ったり公園に行ったり山に行ったり街を歩いたりするの好きだし写真のことずっと考えたりしてるんだけど、それとはまた違うことなのかしら?
と思ったけど、素敵なことですねぇって答えた。

どうしても欲しいものなんて、もちろん私にも無い。
ただがっかりしたくないだけって感じなんだけど、まぁいいや。

だんだん外気温が下がってくると意識がクリアになってくる。
なんというか覚悟みたいなものを感じる。
冬の寒さの中に一人で居ることに対して、しっかりしようという決意みたいなものを感じる。
暖かい服を着て手袋をしてブーツを履いて。
金属のカメラはすごく冷たくなるんだよなー。




2012年8月22日水曜日

夢の話

今朝見た夢は怖かった。
この手の夢は定期的に見る。

夢についての記憶で一番古いものは5,6歳の頃。
いつも同じ悪夢を見て夢遊病みたいになって夜中泣いていたのを覚えている。
それは大人になって白昼夢になった。
白昼夢を見るというのはすごく変な感じであれを誰かに説明するのはとても難しい。
意識はあるけど脳が完全に夢を再現しているし、時間の感覚がおかしくなる。
あ、白昼夢だなぁと思うんだけどそれを止めることは難しく気づいたら終わっている。
時間の感覚がおかしくなった時色んな事を試した。
すごく早く動いてみたりゆっくり動いてみたり。
でも脳は夢を再現しているせいだからかよくわかんないが感覚が無い。
白昼夢というのはdejavuの逆のような感覚。daydream、あれを誰かに説明するのは難しいし頭おかしいんじゃないかという感じになる。

夜中に目を覚ますと居間に髪の長い女の人が立っていた。
怖くなって母親を起こすと、母親のドッペルゲンガーだけが起きてしまった。
怖くなって布団を引っ張ろうとしたら、布団の上に大きな氷のようなものが載っていて上手く布団を引っ張れなかった。
髪の長い女の人は知らない間に消えていた。
母のドッペルゲンガーも、もう寝なさいと言って寝てる母親のもとに戻った。

というのが、白昼夢と同じぐらい古い夢の記憶ではないだろうかと思う。
夢ならば、だけど。


2012年8月15日水曜日

you can't always get what you want


さっきベッドに寝転がって本をペラペラめくってた時に、なんだこの感じは・・・と思って気づいたんだけどめっちゃ退屈だった。久しぶりに退屈だった。どう考えても退屈だった。

良い兆候なのか悪い兆候なのか分からないけれど、ひとりで退屈を実感するのは久しぶりだったので何か書いて見ようと起き上がった次第です。
どうせ休日なので酒でも飲みながら書こうと思う。
白ワイン+ロックアイス+トニックウォーター
開けて時間の経ったワインはなんかで割れば色々なんとかなる。

ペラペラと項を繰っていて目に止まった言葉などを。
「男と女が別れるというときってのは、リアリズムの極致で別れるのさ」
ベール雲:<前略>天気の変化:この雲が現れると天気が悪くなるが、これに伴った悪天候には、極めて局地的な場合と全般的に及ぶ場合とふたつあるので注意を要する
部屋や家具は一見とるに足りないもののようにみえるが、よくもあしくも人間の社会的心理的態度と密接にむすびついており、無関心な心にはとりとめもなく拡散してしまうものを、もっと緊密に凝縮した縮減模型のように読むことができたのである。
この3つは全然別の関係ない、お互い交わること無いだろうなという種類の本から抜粋してます。
でも、こういうバラバラの言葉を人間は知識として経験としてイメージとして内包して会話の中に散りばめてくるからややこしいんよね。
男女の話をしているのか、雲の話をしているのか、造形について語っているのか。


あなたは一体なんの話をしているの?
と推測する時間が美しいと私は思うよ、とかつて言いましたけどもう一度言いましょう。
でもそういう曖昧な世界で曖昧なことを言っていると曖昧なまま世界が終わるしそういうことを全部引き受けるか捨てるか、みたいな結果的にリアリズムの極致で別れることになるわけ。

メタファーで物事を語るのは非常に危険が伴うだろうと思う。
曖昧で柔らかいものから別の強固な意思、みたいなものを感じることはできるけどそれはやはり危険だろうと思う。 それは単にレトリックの問題にすり替わることもある。
その雲が現れたら局地的に雨が降るかもしれないし全般的に雨が降るかもしれないから注意しなくちゃいけないし、部屋に置かれた家具からあなたの無意識を読み取ることも出来るかもしれないわけ。
それを全部一緒に考えるとヤバイことになる。

ということを簡単に言うにはどうしたらいいのかなーと思った結果、何も言わないし自分で考えるべきだと思う。
結局のところ、何かを得るために我々は多くを失うしかないし何を選んで何を失うかぐらい自分で考えりゃいいし、なんかそういうのを誰かに説明したいと思う、そういうのを恋やら愛やら風邪やらと呼べば良いと思う。

といったこの文章もひとつのレトリックであり、メタファーである可能性がある。


2012年7月31日火曜日

7月31日

今日はお友達の誕生日です。
またいつかどこかで一緒にお酒を飲みたい。




夏だけど秋の写真。
今年の秋は万博に行けたらいいなー。

2012年7月28日土曜日

a little bit

今日は何もしていない。
のんびり何もしていない。

お酒を飲んで、好きな映画や本や音楽のことを少しだけ考えた。
好ましい人間のことも考えた。
もうすぐ生まれてくる甥のことも考えた。
スター・レッドの好きな項を繰ったり、ランボーの詩集の一文を繰ったりした。
(と書くとサブカルっぽい)
雑誌をパラパラめくって好きな映画の好きなセリフを覚えた。


I'm not afraid to die.
I've been dying a little bit each day since you come back into my life.
I love you.

今日はこれから映画を見に行く、真夜中零時前に家を出る。

2012年7月22日日曜日

疲れるほうがイージー

今日一日色々考えたんだけど、風邪ひいてるよね。
なんか眠いし怠いし動くのしんどいし頭フラフラするし鼻水出たり喉が痛いなぁって思ってたんよね。
これどう考えても風邪や。
たまりに貯まった洗濯物を抱えコインランドリーに向かうところでまさに絶命しそうだったが頑張った。

今すごく悪寒がするし、すごく熱あるんじゃないかなあと思いつつすごく明日から忙しいんだよねぇって考えてる。先週も忙しかったし酒を飲んでクーラーをつけっぱなしで行き倒れるみたいな生活してると風邪もひくやろうな。
体調を管理するのと人生を管理するのは難しいし丁寧に暮らすには根気が必要。
健やかに生きるのって努力のレベル高いと思う。
イライラしてムカムカしてメソメソしている方が楽だ。
水は低きに流れるとはよく言ったもので。
最近はすごく良くなかったので反省している。
3ヶ月に一度必ず反省しているが繰り返し続けてるね。
体調が悪くなる度反省するのは愚かなんだけど、反省出来るタイミングとして粛々と受け入れたいと思いつつも、明日からのこと考えると体力持つか心配だなー。
と野菜生活というジュースを飲んでいたら気分が持ち直してきたと思った瞬間気分が悪くなったりして一進一退感。


 やっとこさ鳥取の写真を現像してきた。
色々露出間違えてる写真あって適当感あふれる旅写真だった。
馬の背を登ってるとき信じらんないぐらいの風雨だった。


夏休みの予定をまだ決めてない。
何処に行こうかな。
何処にも行きたく無いしここで誰かとのんびり過ごしたいと夢見る私も居るが、待ってても誰も来ないしなー。何処行こうかしらね。

2012年7月18日水曜日

疲れた

人ってどんどん変わっていってしまいます。
どんどん偏屈になって我慢することを辞めるようになります。
我慢というか、譲歩や優しさや思いやりやそういう柔らかいものが固まっていくというか。
あーこのひとはもう私には譲歩しないのかーと感じたりするときがあるのですが、そういうことに対して少し傷ついたりするのを私は我慢を辞めるより早く辞めたいですね。
辞めたりする前に色々忘れたいものです。
良い時もあったし悪い時もあったと、そういう事にしていきたい。





今年のじゃないけど、三室戸寺のあじさい。
もう梅雨終わったんかな。
今年は水に濡れた世界を閉じ込め忘れた。
こういう、ジジィとかババァが撮ってそうな写真撮るの好きかもしんないので早くババァになるべきなのかもと思います。
神社仏閣を巡ってシーンとしたものを撮りたいですね。
誰かに特別何かを与えようとしない世界が好きですよ。

現実的に濡れた葉脈色っぽい。


たしか同じ日に撮った薔薇。
構図はパッとしないけど、光の捕らえかたがすごく私っぽくてとても無駄な感じで良いですね。
自分の為に撮った写真はいつでも自分を慰撫してくれるなぁ。
写真を撮った時の気持ちをいつも思い出させてくれる。
色んな事を忘れるけど、その内のどれかは思いだすし許して欲しいよね。

2012年7月16日月曜日

忘れる

人生は概ねつまらないことばかりだ。そんな楽しいことがあるわけない。
でもまぁそういうもんなんだよ。
だからこそ楽しまなくては損をしたり、割りを食うことになるんだと思う。
うんざりですね。うんざり。
だからできるだけ、会いたいと思える誰かと会っているそのときは楽しく過ごしたいなと思う。
ごめんねで解決出来る全てをごめんねで解決したい。金で解決できるすべてを金で解決したい。時間で解決できる全てを時間で解決したい。解決できないこと全ては解決したくない。

今日の記念にガラスの指輪を買った。
夏が終わってまだうんざりしていたら叩き割ろうと思う。
怒りは悲しみに変わってしまうし、そういうのはもううんざり。

2012年7月15日日曜日

夏と海

暑いですね。
路上に落ちたアイスクリームみたいな気分で部屋に居ます。

私、先週ぐらいまではまだ夏だって認めてなかったけれど、これはもう夏なんだなって昨日の夜思いましたよ。
良く酒を飲んで歩いて帰るんですけど、中之島でよく育った芝生を見つめながら、おーこれはとっても夏だと思いましたよ。
立ち止まってると声をかけてくる怪しい男とか、手をつないでフラフラ歩いてるカップルとか。
なによりも自分の気分が夏を物語っていましたね。


なんかタイムラインで海に行ってる羨ましい各位が多いので昔行った海の写真を掘り返しながらグズグズしています。






昔行った友ヶ島。
また行きたいなぁ。






2012年7月10日火曜日

優しさ

優しさっていうのは、優しさを持たない人が優しさを疎むときに使う言葉だよなー。
なんつってーと思ったりする。

 あるいは雨上がりのシロツメグサみたいなものの美しさを上手く表現できない時とかに。

(今のポエムです。)

こないだシロツメグサを見つめながら、子供のとき花冠作ったなぁと思って少し摘んで花冠を作ろうと思ったんだけど作り方全然思い出せなかった。
不思議だったなぁ。
もしかして、子供のときも作れなかったのかな。
ほとんど何も思い出せなかったなぁ。


2012年7月6日金曜日

美しさ

私は仕事で少しだけ人物の写真を撮ったりします。
人物の写真を撮るというよりかは商品の写真を撮っているという方が正確ですが。
商品を着た、履いた人物を撮っているのです。
人物を撮るわけですから必然的に顔も撮ります。
顔は構図的に切ったり入れたりもします。

撮影が終わると写真を選別します。
選別の大きなポイントは、まず露出が適性であるかどうか。(残念ながら露出計がないので露出を計測して撮影出来てないんです)
構図がまとまっているか。
表情が残念じゃないか。

まぁだいたいこんな感じの観点から選別します。
選別を終えるとデザイナーに見せます。
だいたい1ポーズ3パターンぐらい選んでます。
全カット1枚ずつ構図が違ったり露出を変えたりピントの位置を変えて撮影しているので、まあそういうことになります。
で、その中から気に入る物を更に選んでもらうって感じなんですがその際「なんか顔が微妙だね」とたまに言われます。
私的には顔が微妙じゃない写真を選んでるつもりなんですよね。
それであれ?となります。

または全部写真渡してイチから選んでもらう時もある。
選んだ写真をあとで見せてもらって、おいおいなんでこんなしょぼくれた顔の写真選んでんだよまじかよ、と思う時があるんです。
で、「なんでコレ選んだんですか???」って聞いたら「表情が一番良かったから」と答えられたりします。
そしてまたおいおいおいおいまじかよと思います。

どうも美の観点がずれているのかな?と。
美というより、人間の表情の魅力を感じるポイントがずれているのかな。
まだ数回しかないから統計としては乏しいけど、数回もあるんだから、とも考えられる。

うん、でも実は人を撮るのが本当に苦手なんですよね。
距離感がとても苦手。
レンズを通して見る人と、目の前に居る人との距離がなんかずれてるんですよ、私の中で。
そうすると上手くシャッター切れない。
そしていい表情が撮れないという事案が発生し〈中略〉やれやれ、となるわけです。
でも仕事なんでね、もちろん最大限いい写真になるように努力しますし撮影中は苦手という気持ちはずっと奥の方にしまってるつもりなんだけど、上がってるもんに出ちゃってるんだなーと思う。

好きな人の写真撮るのは好きなんです。
だから撮ったりするんですけど、いまいち上手く撮れないままもう会わなくなっちゃったりします。
上手になれないって悲しいですよ。

相手との距離を上手く測れないといい写真が撮れない。

「んーこの写真、表情がいまいちですね」って言われるととても凹む。

いい写真ってなんだろね。
いい表情ってなんだろね。

2012年6月28日木曜日

日々Maybeに輪をかけて

最近寝付きが悪い。
心配事があるんだと思う。
心配事が山ほどあるんだと思う。

仕事の効率も下がってる。
一つの作業に集中したいんだけどそれを許さない量の仕事を抱えてるんだと思う。
いや、単にやる気の問題な気もする。

もう何年も何年も社会人やってるのに仕事に慣れるのは難しい。
仕事は好き。一生できそうな気もする。
でもたぶん、お金を得られないならやんないなと当たり前のように思います。



最近写真を撮る機会が多いんだけど、すごく辛い。
もっと時間をかけて撮影したいなぁと思うけど、無理なんよねぇ。
一分一秒がコストになってる。
なんかそういうの間違ってるなーと思いますよ。
でも間違っててもやんなきゃいけないことだらけなんですよ、生きるっつーのは。
みたいなことを言うのは愚かっすなーと思いますよ。

 7月は好きな月だからなんかいいことあると良いな。
今日という日を乗り越え続けたら、たぶんいいことあるんだろう。
でもできたら今日、いいことあると良いな。

2012年6月19日火曜日

今日のこと


雨ですね。
台風ですね。

同僚の男の子、上司に3回ぐらい『もう帰っていいぞ』って言われてたけど私1回も言われなかったし帰りたかったけど仕事終わってなくて帰れない、って状況がイチイチアホっぽいなという結論を得てDropboxに作業が途中のデータぶっこんで会社を飛び出したけど、今のところ家でやる気なんて起きるわけないなって感じです。

昔働いて無かった時、雨の日はよくカメラを持って散歩に出ていた。
アンダーな世界の色味が好きだったんですよね。
近所のスーパーにお菓子買いに行くついでに撮影、っていう時間の無駄遣いすごい好きでした。
当時まだ煙草を吸っていたので一服がてらの散歩と撮影は一日の大事な時間だったな。

カメラを持っている時間が、自分にとって一番正直な時間だよなぁって思う度ほんの少し悲しくなりますね。
でもやっぱ一番好きな時間かなぁ。
本当に好きだから、そういものを誰かと共有したいんだけどうまくいかないんですよね。
うまくいかなかった、というべきかもしれませんけどまだ死ぬまではわからないということにしておきたい。
 
そういうのは日々の祈りみたいなもんなんだよ、って言葉がふわーんと過ぎりますね。



ところで、台風についての思い出はあんまりないかな。

2012年6月17日日曜日

イメージなら出来る

tumblrでまとまったテーマのブログを作りたいと思って作った。

http://kisssssssssss.tumblr.com/

なかなかロマンティックなキス写真というのは見つからない。
だいたいエロティックに傾いている。(見る人にもよるか)
tumblrに潜ってキス写真探していたら結構な数の同性キス写真がヒットした。
男同士のキス写真もなんというか写真というフィルターで美しくなっておりましたがやはり私はヘテロなのでそういったものにきゅんとなったりできません。
女性同士のキスも美しいとは思いますがヘテロなので全く興味がありません。
ヘテロなので興味がない、というのは些か偏見入ってるかもしれないけど。


バッハの旋律を夜に聴いたせいです。のPVを見ていて思いついたブログなんですけども、イメージの中のロマンティックさに私はとても弱いですね。
堅物っぽい男の人が悪そうな女の人に騙されてるイメージが好きです。
ダメっぽい男にダメっぽい女の人がイチコロになってるイメージも好きです。
最近一番良かったキスはインセプションでアーサーがアリアドネにキスするシーンですかね。
アーサーがクールでいいと思います。

そういえば昔、好きなイメージを具体化しようとしたことがあるんですけど、なんか大掛かりになりすぎて色々残念な映像になったけどその結果就職した、みたいなことがありましたね。



最近このカメラで写真撮ってないんですけど、ピントが定まらないような危うい世界に夏というものを取り込んでみたいなぁ、心に余裕があれば。



美しさについて考えていたら日曜が定刻通りdeadしました。
ちょっと散歩してこようかな。
そしてまた明日から、もう少しまともに生きようと思うのであった。

2012年6月5日火曜日

人間の理想の結晶ロボットと上手く寝付けなかったお話

部屋に22XXがあるはずだと思ったけど無かった。
部屋にあるはずだと思った本が無いと、随分前まで記憶を手繰らないといけないことになる。
思い出せない。ググる気も起きない。
竜の眠る星も部屋にあるはずだった。
竜の眠る星はひどく悲しい物語で部屋でよく読んでた。
人の心を試すと人が死ぬ話だ。
でも主人公は死なないロボットなんよね。

誰かの心を試すに至らせるトリガーは一体なんだろうね。
恐らく心の弱さ所以というやつなんだけども。

ところで22XXは、ジャックがルビィの手を食べてやれなかったことを悔やんで泣くシーンがとても良い。
私が今悔やんでいるのは、今週も結構仕事あんのに上手く寝付けなかったことですかね。

2012年6月3日日曜日

不摂生顎に現れるラインまたは君の横腹今何段目

正直言ってタイトルを上回る中身のある文書けなかったので使い道のない風景写真を御覧ください。
















撮影場所はすべて大阪市内です。