2012年11月25日日曜日

11月末某日

センチメンタルに流されるのにも体力とか無知がいるんだな、って日曜日の夕方に時々思います。

お馬鹿なことだけ言ってやって騒いでたいのだわー。
お釈迦でいいし、どうせあと50年ぐらいの内に死ぬ。あーできたら30年ぐらいの内に死にたいが。
いやまてよ、仮に結婚とかしちゃって子供とか生んじゃったら子供が30歳、今の私ぐらいの時に死んじゃうのか。いいんだか悪いんだかわかんないな。

将来と呼ばれる時期に差し掛かっているのに、これといって何かを頑張る気になれない。
もうそういうの全部スルーして仕事も辞めて何処か田舎にすっこんで農業でもやりたい気持ちですよ。
虫嫌いなんだけどさ。
今ものすごくめんどうだなと思う案件が、仕事も含めて5件ぐらいあると思うのだがたぶんそれ真面目にやらんとあかんやつなんだろうなって思います。
面倒な事こそ真面目に真剣にちゃんとしないといけないんだろなって思います。
でもやる気がでません。というか、それ本当に大事なことなんだろうかという疑問すら感じる。
自分が今までやってきたことに対して後悔はしていないけれど、何一つ成し得てないしというかだいたいそんなたいそうな人生だろうか?
情熱みたいなものが失われてより千年は経過してる。
そしてそういう情熱みたいなものじゃない何かを運用して私は日々を過ごしたい。
もっとこうなんだろ、日々の平和を?何もない日々を慈しむみたいな?
まだよくわからないので死ぬまでの間に見つかるといいなと思います。


山はいいよなぁ。
生命力に溢れてる。
そして死というものを身近に感じる。
静かなのに音がたくさん聞こえる。







過ぎたるは猶及ばざるが如しだよ。
もう全部忘れていくべき。
その、恋だとか愛だとかそういう感情的な名詞は全部忘れなさい。
幸福とか人生とか仕事とか生活とかお金とか。
全部忘れて私とハンバーグをこねて暮らしましょう。
或いは私のこともあなたのことも、やはり同様に忘れて暮らしましょう。
忘れられても全然構わない。
忘れないでいることで失われる何かに比べたら、全然ましである。
といった考え方は少し排他的であるのかもね。

きみのーぼくよーここらーでちょっときみのーぼくにーあえてーこーそー
かどをーまがるーじひがーなーぜーかーまちのーばかにーすかれーたーらー

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