2012年8月22日水曜日

夢の話

今朝見た夢は怖かった。
この手の夢は定期的に見る。

夢についての記憶で一番古いものは5,6歳の頃。
いつも同じ悪夢を見て夢遊病みたいになって夜中泣いていたのを覚えている。
それは大人になって白昼夢になった。
白昼夢を見るというのはすごく変な感じであれを誰かに説明するのはとても難しい。
意識はあるけど脳が完全に夢を再現しているし、時間の感覚がおかしくなる。
あ、白昼夢だなぁと思うんだけどそれを止めることは難しく気づいたら終わっている。
時間の感覚がおかしくなった時色んな事を試した。
すごく早く動いてみたりゆっくり動いてみたり。
でも脳は夢を再現しているせいだからかよくわかんないが感覚が無い。
白昼夢というのはdejavuの逆のような感覚。daydream、あれを誰かに説明するのは難しいし頭おかしいんじゃないかという感じになる。

夜中に目を覚ますと居間に髪の長い女の人が立っていた。
怖くなって母親を起こすと、母親のドッペルゲンガーだけが起きてしまった。
怖くなって布団を引っ張ろうとしたら、布団の上に大きな氷のようなものが載っていて上手く布団を引っ張れなかった。
髪の長い女の人は知らない間に消えていた。
母のドッペルゲンガーも、もう寝なさいと言って寝てる母親のもとに戻った。

というのが、白昼夢と同じぐらい古い夢の記憶ではないだろうかと思う。
夢ならば、だけど。


2012年8月15日水曜日

you can't always get what you want


さっきベッドに寝転がって本をペラペラめくってた時に、なんだこの感じは・・・と思って気づいたんだけどめっちゃ退屈だった。久しぶりに退屈だった。どう考えても退屈だった。

良い兆候なのか悪い兆候なのか分からないけれど、ひとりで退屈を実感するのは久しぶりだったので何か書いて見ようと起き上がった次第です。
どうせ休日なので酒でも飲みながら書こうと思う。
白ワイン+ロックアイス+トニックウォーター
開けて時間の経ったワインはなんかで割れば色々なんとかなる。

ペラペラと項を繰っていて目に止まった言葉などを。
「男と女が別れるというときってのは、リアリズムの極致で別れるのさ」
ベール雲:<前略>天気の変化:この雲が現れると天気が悪くなるが、これに伴った悪天候には、極めて局地的な場合と全般的に及ぶ場合とふたつあるので注意を要する
部屋や家具は一見とるに足りないもののようにみえるが、よくもあしくも人間の社会的心理的態度と密接にむすびついており、無関心な心にはとりとめもなく拡散してしまうものを、もっと緊密に凝縮した縮減模型のように読むことができたのである。
この3つは全然別の関係ない、お互い交わること無いだろうなという種類の本から抜粋してます。
でも、こういうバラバラの言葉を人間は知識として経験としてイメージとして内包して会話の中に散りばめてくるからややこしいんよね。
男女の話をしているのか、雲の話をしているのか、造形について語っているのか。


あなたは一体なんの話をしているの?
と推測する時間が美しいと私は思うよ、とかつて言いましたけどもう一度言いましょう。
でもそういう曖昧な世界で曖昧なことを言っていると曖昧なまま世界が終わるしそういうことを全部引き受けるか捨てるか、みたいな結果的にリアリズムの極致で別れることになるわけ。

メタファーで物事を語るのは非常に危険が伴うだろうと思う。
曖昧で柔らかいものから別の強固な意思、みたいなものを感じることはできるけどそれはやはり危険だろうと思う。 それは単にレトリックの問題にすり替わることもある。
その雲が現れたら局地的に雨が降るかもしれないし全般的に雨が降るかもしれないから注意しなくちゃいけないし、部屋に置かれた家具からあなたの無意識を読み取ることも出来るかもしれないわけ。
それを全部一緒に考えるとヤバイことになる。

ということを簡単に言うにはどうしたらいいのかなーと思った結果、何も言わないし自分で考えるべきだと思う。
結局のところ、何かを得るために我々は多くを失うしかないし何を選んで何を失うかぐらい自分で考えりゃいいし、なんかそういうのを誰かに説明したいと思う、そういうのを恋やら愛やら風邪やらと呼べば良いと思う。

といったこの文章もひとつのレトリックであり、メタファーである可能性がある。