2013年6月6日木曜日

犬も歩けば棒に当たる

私は多分めちゃくちゃ心が弱い人間なので、ここらへんでちゃんとしたほうがいいという啓示みたいなものを最近感じる。
なぜならずっと胃が痛い。食欲が皆無で痩せて肌も荒れているしうまく眠れない。
これはあかん、限りなく欝っぽい。

Twitterに弱音や愚痴を書いてこのまま半永久的な日々を過ごすとかどうなんやろ。
んじゃブログならいいんかい、というのはひとまずおいておくとして。
もう32ににもなろうかという人間が何してんだよ、といった事をマジに書いてる時点で色々終わってる気もするので、やはりもう少しマジからは後退したい。

生き方にバッファがなさすぎるのではないかと思うのです。
毎日その日暮らしをしてきたツケを感じる。
その日その時の楽しさを求めて満足してきたツケだなこの情緒不安定は。
その日その時楽しければいいと思って過ごしてるわりに、くだらない事で傷ついたり他人を憎んだりしすぎてる。
もう少しゆとりというか、心を豊かにしてビクビクせずに暮らしたい。
その為に何をすべきかを考えていきたい。
しかしながら意識を高めすぎても疲れるから、適当には自分を甘やかしたい。
旨いものを食べ欲しい服を買うとかしたい。
映画も見たい。本も読みたい。
ダラダラしたい。お酒飲んで寝たい。
無目的に好きな人に好きだよとか格好いいとか素敵とか優しいとか褒めてあげたい。
悪いところじゃなくて良いところを一日3つぐらい見つけて教えてあげたい、って少し前に思ってたはずなのに忘れてた。そして今日もなんかしょうもないことを言ってしまった。

誰に何を言われても、誰に何を言ってもこたえないような無敵になりたいわけじゃなくて、弱さも受け入れていける心のゆとりが欲しい。
自分や他人の弱さを感知てもグラグラしない地に足の着いた人間になりたい。
それってすごい難しいことのように思えるので、やる価値があると思う。
たとえこの先どうなっても、その強さや優しさみたいな何かを得ることができたらそれだけでも価値があるんじゃないかって。
人生にも救いみたいなものがあるんじゃないかなーって思ったのでここに少し記しておこうと思った。

何かを得たり失ったりしながら生きていかざるを得ないとしても、そこにある喜びとか悲しみを受け入れていける心があれば死ぬ時に、まぁ悪く無い人生だったなって思えるのかもね。
私は優しい人になってみたいな。
なんとか死ぬまでに。


ということを書いてもやっぱり気持ちはグラグラするし食欲は特に湧いてこないけれどもね。
あーほんと健康な肉体に健康な精神を宿したいねぇ。

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