2012年10月30日火曜日

徒然140字以内

ハロウィンもクリスマスも正月もバレンタインもホワイトデーもゴールデンウィークも七夕も盆ある意味防ぎようがないイベントだけど、誕生日だけは明かさなければ防げるという意味でも誕生日は特別だなって思う。
別に誕生日はイベントじゃないけど。
祝福を与える必要条件は満たしてると思う。



2012年10月29日月曜日

それでは臨時ニュースです。

久しぶりに一冊の本を読破することができた。
私の中でかなりのビックニュースだ。
かれこれ1年以上も本を読み切ることが出来なかった。
文字を読むことはできても何一つ頭に入ってこない状態が続いていた。

物語が終わった時、なんとも言えない感慨を覚えた。
いや言い過ぎた。
あ、終わったって感じだった。

これでまた新しい本が読めるようになるんだろうか。
まだ予断を許さない感じだけど読めるような気もしてきた。
昔読んだ本も読み返したい。

そういえば1年ぐらい前、三四郎を読んでいた。
人から借りてた本だしと思って読み進めてたけど物語が全然頭に入ってこなかった。
まぁその後色々あってラスト10ページぐらいのところで持ち主に返した。
 たぶん、三四郎はもう二度と読まないし結末も特に知らなくてもいいけど三四郎ぐらいメジャーな物語の結末は、ほっといてもいつか誰かが教えてくれたり、インターネットで目にしたりするかもね。

その三四郎を最後にまったくもって何も読めない日が続いてたけどついに読みきったなー。
 これは何かの良い兆候だといいな。
とりあえず夕食にも祝福を与えようと思い、肉厚なベーコンをじっくり焼いて、目玉焼きを作って食べた。
なぜなら目玉焼きがすごく好きだから。

1年前若草山に登って撮ったしかたん。
またそろそろ行かなくっちゃなぁ。

2012年10月28日日曜日

still

dogyear名義でこのブログ書いてるのもなんか不思議な気がしてきたけど、12534532も結局のところはdogyearであり私なのでどうでもいいのでした。

やっと仕事が一段落したように思う、というかひとつの流れが終着しただけというか。
あまりいい終わり方しなかったし、なんだったら全然終わってないんだけどね。
まぁとりあえず終わったことにした。
最悪な雰囲気のまま保留にしてた私だけしか出来ない仕事に戻る。


たまってたフィルムを現像にだしたら桜の写真が出てきた。
夙川に行ったのだよなぁ。
いいとこだった。また来年、時間があれば行きたい。
行きたいところが多すぎて行けなくて寂しいみたいなの最近減った。
もうだって全然時間なくてゲロみたいなんだもん。
寂しいとか考えただけでヤバイ。
そういう不安定になる感情に対して面と向かって向かい合えるような心の余裕があるはずもない。
こういうの望んでたわけじゃないんだけど、坂を転げるみたいに仕事ばっかりする大人になってしまった。
心を弱らせると命取りになるような日々がずっとずっとずっと続いているので、寂しいとか思ったとしてもまじで向き合ったらヤバイ。
それに実際そんなに寂しくもない、悲しくもない。
もしかして心が死んだのかな?ってたまに思うけど。
どうなんでしょ?どちらせよ、メランコリックになるには私はババアになりすぎてる。

先日すごい重い荷物を持って歩いてたら壁に激突した手がうっ血しはじめた。
かわいそう。
綺麗な手なのに、とさすってたらあまりにもガリガリな手であることに気づいてヒッってなったけど、手を太らせるなんて無理だしなぁって、悲しくなったよ。
寂しくはないけど、時々はやはり悲しくなるものだね。



これは夏の夜の中之島公園。
夏の真夜中の中の島公園は、芝生に寝転んで寝てる人がたくさん居ました。
私も寝転んで蚊にさされまくりましたが、それもいい思い出です。

2012年10月8日月曜日

特になし

1週間に1回ぐらいは何か書かねば…と思いながら、これといって最近何もないですね。
仕事は相変わらずです。
あと3週間は死が続くこと確定しています。
こんなにも長い間死んでいるのは久しぶりです。
でも人生よくわからないもので、死んでる時にこそ良いことがあったりします。
わけわかんないけど兎にも角にも死につつも安定した日々ですね。
安定した死が供給され続けている日々ですね。
こーゆーのっていつか終わるのかな。もちろん、私が死を拒むことが前提なんだけど。
何かを拒む事が昔からとても苦手なんですよね。
なんでもかんでもすぐ受け入れちゃう。
とりあえず受け入れちゃう。
人間的にとても弱い。
何かを拒むには正当な理由が要るんじゃないかと思うわけです。
で、今やってる仕事を拒む正当な理由など在るはずもなく毎日死んでる。
昔はそういうことにイチイチ絶望したりもしたけど、今この手の中にあるものが全てではないし絶望してる暇がない。暇がないけどちゃんと絶望するし、もう取り返しの付かない時間が過ぎたけどどうすんのよ、みたいなこともある。
にしてもやはり今この手の中にあるものが全てじゃないしなーーあーデートしたいなーーって思って終わり。
いや終わっちゃいかんし現状は打破していかないといけないんだけどもさ。


今年は彼岸花見に行けなかったな。
去年も見に行ってないんだろうな、10月の記憶が悲しいぐらいないので何も思い出せないけど。
思い出せないことは忘れていいし全然忘れようとしないのはよくないですよまじで。マトモじゃない。


あぁ、のんびり死んでのんびり生き返りたいなあ。
誰かの腕の中で温かく死んだり生き返ったりしたいな。
イメージの世界でだけでも。いや、現実的にも。


おねーさんはそろそろおでんを食べにいきたいし熱燗飲んだりしたいです。



2012年9月30日日曜日

夜

時の洗礼を受けても尚美しい物以外に、如何ほどの価値を与えるかについて考慮していきたいと私は考えている。

時の洗礼を受けても美しいものは私が美しいと思わなくても美しいだろう。
でもそういうのではなく、自分で選んだものに対してしっかりとした価値を与えたい。
そういう事をしないと、失われてしまうんじゃないかなって漠然と思うのです。

何が失われるのか。
失われるというか、得られないものがあるんじゃないか―、みたいな感じかしら。
うまくそこはまだ理解出来てないんだけど。

例えば着る服や履く靴に関して。
もう1ヶ月に何着も服を買うような、そういうのうんざりなんですよね。
さすがにうんざりしてきた。
服飾業界に勤めてたった1年でうんざりしてきた。
服のこと好きだし、素敵な服を見る度ときめくけど、部屋が狭いし収納に限りもあるし何より金に限りがありすぎるので全部を大事にすることも、本当に欲しい物を全部買うことも無理なんですよ。
ありとあらゆる欲望に対して選択を迫られる。
ジーザス。

もう賢明な読者各位はわかっておられると思いますが、今すっごい当たり前の結論をくっそどうでもいい起点から導き出そうとしています。
時々そういうことしちゃうんですよ。結論は至ってシンプルで当たり前で考えるまでも無いことなんだけど、複雑な迷路(というか怠い何か)を通らせることによって何かしら特別な意味が生まれるんじゃないか、みたいな淡い期待(ほぼ無意味)。

でも今回は結論より起点が大事だったんです。
誰もが分かる物事の価値よりも、自分自身が物事の価値を決めるべきなんじゃないか?ってことが。何をどのように選ぶかってことを、決めるっていうかさ。
そういうのって皆様もっと若い頃に無意識に考えてお決めになられるんだと思うんですけど、その頃私ちょっとやりたいこと多すぎてやることも多すぎて忙しくてほとんど何も考えられなかったのよね、オホホって今もあんま変わってないんだけど。

たくさんの服を捨てるにあたり次は大事にするからねって言うのなんか別れた男に、いえなんでもありません。

昨日もなんとなく書いたけどさ、私は自分自身を見つけたり失ったり誰かと分けたりして生きてみるのも悪くないのかもねって思い始めた所なのです。あ、もう齢31なんですけどね。

書き始めと書き終わり、途中で人と話してたというの相まって切れ味変わってつまんなくなっちゃったな、と反省しています。

いいですか、
物語に銃が登場したら血が流れるように人生に大切なものが登場したら、

 全然関係ないですけど曽爾高原行きたい。

朝

休日の朝少し早起き、といっても平日と同じぐらい、するの悪く無い。
カフェ・オレを入れてスコーンを食べる。
疲れないことの大切さたるや。


今度カフェ・オレボウルを買おう。
紅茶茶碗も欲しい。
兼用すればいいじゃない。

そして私は今からトウモロコシを茹でる。

台風の前の日

今日は何もしなかった。
ちょっとだけ部屋を掃除したり要らない服を捨てたぐらい。
素晴らしい気分だ。
昔よく感じていた寂しさみたいなものを久しぶりに感じた。
一人で約束も無くて声も出さないでジッとしているときに感じるアレだよ。


しかしながら寂しさというものの中に身を置かないと感じ取れないことがある。
寂しさはたぶん弊害で、寂しさなんてなくても感じ取れたら最高なんだろうとは思う。
でもそういう風に生きてこなかったからなぁ。
愚かだとは思うんですがどうしようもない、今のところ。


もう秋だなぁ。
あと2ヶ月もしたら枯れたプラタナスの葉を踏んで冬を迎える事ができるんだろうか。
私はいつも誰かと一緒にプラタナスの葉を踏みたいと思っている。
でもそういうことを上手く他人に伝えることが出来ないまま大人になってしまった。
伝えようと努力するんだけど、プラタナスの葉を一緒に踏むことの意味というのは人それぞれだし、それを強要するわけにもいかないし。
あるいはいつかの記憶を私は再現したいだけとか?
いやそういうのとは違うんだけど、好きなんだよあの枯葉の感触が。
うまくいえないんだけど。



とにもかくにも今年の秋はなんかよさそう。
仕事ばっかりしてないで、うつりゆく季節やら変わったり変わらなかったりする人を見てられたらいいなと思う。
そして私も自分というものを見つけて馴染んでいけたらいいなと思う。