時の洗礼を受けても尚美しい物以外に、如何ほどの価値を与えるかについて考慮していきたいと私は考えている。
時の洗礼を受けても美しいものは私が美しいと思わなくても美しいだろう。
でもそういうのではなく、自分で選んだものに対してしっかりとした価値を与えたい。
そういう事をしないと、失われてしまうんじゃないかなって漠然と思うのです。
何が失われるのか。
失われるというか、得られないものがあるんじゃないか―、みたいな感じかしら。
うまくそこはまだ理解出来てないんだけど。
例えば着る服や履く靴に関して。
もう1ヶ月に何着も服を買うような、そういうのうんざりなんですよね。
さすがにうんざりしてきた。
服飾業界に勤めてたった1年でうんざりしてきた。
服のこと好きだし、素敵な服を見る度ときめくけど、部屋が狭いし収納に限りもあるし何より金に限りがありすぎるので全部を大事にすることも、本当に欲しい物を全部買うことも無理なんですよ。
ありとあらゆる欲望に対して選択を迫られる。
ジーザス。
もう賢明な読者各位はわかっておられると思いますが、今すっごい当たり前の結論をくっそどうでもいい起点から導き出そうとしています。
時々そういうことしちゃうんですよ。結論は至ってシンプルで当たり前で考えるまでも無いことなんだけど、複雑な迷路(というか怠い何か)を通らせることによって何かしら特別な意味が生まれるんじゃないか、みたいな淡い期待(ほぼ無意味)。
でも今回は結論より起点が大事だったんです。
誰もが分かる物事の価値よりも、自分自身が物事の価値を決めるべきなんじゃないか?ってことが。何をどのように選ぶかってことを、決めるっていうかさ。
そういうのって皆様もっと若い頃に無意識に考えてお決めになられるんだと思うんですけど、その頃私ちょっとやりたいこと多すぎてやることも多すぎて忙しくてほとんど何も考えられなかったのよね、オホホって今もあんま変わってないんだけど。
たくさんの服を捨てるにあたり次は大事にするからねって言うのなんか別れた男に、いえなんでもありません。
昨日もなんとなく書いたけどさ、私は自分自身を見つけたり失ったり誰かと分けたりして生きてみるのも悪くないのかもねって思い始めた所なのです。あ、もう齢31なんですけどね。
書き始めと書き終わり、途中で人と話してたというの相まって切れ味変わってつまんなくなっちゃったな、と反省しています。
いいですか、
物語に銃が登場したら血が流れるように人生に大切なものが登場したら、
全然関係ないですけど曽爾高原行きたい。
2012年9月30日日曜日
朝
休日の朝少し早起き、といっても平日と同じぐらい、するの悪く無い。
カフェ・オレを入れてスコーンを食べる。
疲れないことの大切さたるや。
今度カフェ・オレボウルを買おう。
紅茶茶碗も欲しい。
兼用すればいいじゃない。
そして私は今からトウモロコシを茹でる。
カフェ・オレを入れてスコーンを食べる。
疲れないことの大切さたるや。
今度カフェ・オレボウルを買おう。
紅茶茶碗も欲しい。
兼用すればいいじゃない。
そして私は今からトウモロコシを茹でる。
台風の前の日
今日は何もしなかった。
ちょっとだけ部屋を掃除したり要らない服を捨てたぐらい。
素晴らしい気分だ。
昔よく感じていた寂しさみたいなものを久しぶりに感じた。
一人で約束も無くて声も出さないでジッとしているときに感じるアレだよ。
しかしながら寂しさというものの中に身を置かないと感じ取れないことがある。
寂しさはたぶん弊害で、寂しさなんてなくても感じ取れたら最高なんだろうとは思う。
でもそういう風に生きてこなかったからなぁ。
愚かだとは思うんですがどうしようもない、今のところ。
もう秋だなぁ。
あと2ヶ月もしたら枯れたプラタナスの葉を踏んで冬を迎える事ができるんだろうか。
私はいつも誰かと一緒にプラタナスの葉を踏みたいと思っている。
でもそういうことを上手く他人に伝えることが出来ないまま大人になってしまった。
伝えようと努力するんだけど、プラタナスの葉を一緒に踏むことの意味というのは人それぞれだし、それを強要するわけにもいかないし。
あるいはいつかの記憶を私は再現したいだけとか?
いやそういうのとは違うんだけど、好きなんだよあの枯葉の感触が。
うまくいえないんだけど。
とにもかくにも今年の秋はなんかよさそう。
仕事ばっかりしてないで、うつりゆく季節やら変わったり変わらなかったりする人を見てられたらいいなと思う。
そして私も自分というものを見つけて馴染んでいけたらいいなと思う。
ちょっとだけ部屋を掃除したり要らない服を捨てたぐらい。
素晴らしい気分だ。
昔よく感じていた寂しさみたいなものを久しぶりに感じた。
一人で約束も無くて声も出さないでジッとしているときに感じるアレだよ。
しかしながら寂しさというものの中に身を置かないと感じ取れないことがある。
寂しさはたぶん弊害で、寂しさなんてなくても感じ取れたら最高なんだろうとは思う。
でもそういう風に生きてこなかったからなぁ。
愚かだとは思うんですがどうしようもない、今のところ。
もう秋だなぁ。
あと2ヶ月もしたら枯れたプラタナスの葉を踏んで冬を迎える事ができるんだろうか。
私はいつも誰かと一緒にプラタナスの葉を踏みたいと思っている。
でもそういうことを上手く他人に伝えることが出来ないまま大人になってしまった。
伝えようと努力するんだけど、プラタナスの葉を一緒に踏むことの意味というのは人それぞれだし、それを強要するわけにもいかないし。
あるいはいつかの記憶を私は再現したいだけとか?
いやそういうのとは違うんだけど、好きなんだよあの枯葉の感触が。
うまくいえないんだけど。
とにもかくにも今年の秋はなんかよさそう。
仕事ばっかりしてないで、うつりゆく季節やら変わったり変わらなかったりする人を見てられたらいいなと思う。
そして私も自分というものを見つけて馴染んでいけたらいいなと思う。
2012年9月23日日曜日
you don't know what love is
このあいだ東京に行った時、可愛いインコのブローチを見つけた。
私はインコのモチーフが好きなので、可愛いのがあるとすぐ買っちゃう。
でもその時は時間がなかったので次見に行った時に買おうと思ったけどもう無かった。
可愛かったのになぁ欲しかったなー残念だなーと思ってて、今日ふと寄った店に同じブローチが売っていた。
でもなんか全然欲しくなかった。
いや、きっと欲しかったはずだからと手に取ってしばらく見つめてみたけど全然欲しくなかった。
あんなに欲しかったのに。
一度手に入れ損なったものが再び手元に転がり込んできても、もうあの時の気持ちは無いんだなーって哲学めいたことを思いました。
はーしんど。
秋なので3ヶ月ぐらい休みをとって本を読んだり手紙を書いたりしたい。
そうね、手紙を。
この時期になるとどうしてもチェット・ベイカーが聞きたくなります。
この曲はチェット・ベイカーの作った曲ではないけど、チェット・ベイカーが歌うこの曲が好きです。
私が生まれる40年も前に書かれた詩とメロディー。
美しいですね。
実に秋ですね。
私はインコのモチーフが好きなので、可愛いのがあるとすぐ買っちゃう。
でもその時は時間がなかったので次見に行った時に買おうと思ったけどもう無かった。
可愛かったのになぁ欲しかったなー残念だなーと思ってて、今日ふと寄った店に同じブローチが売っていた。
でもなんか全然欲しくなかった。
いや、きっと欲しかったはずだからと手に取ってしばらく見つめてみたけど全然欲しくなかった。
あんなに欲しかったのに。
一度手に入れ損なったものが再び手元に転がり込んできても、もうあの時の気持ちは無いんだなーって哲学めいたことを思いました。
はーしんど。
秋なので3ヶ月ぐらい休みをとって本を読んだり手紙を書いたりしたい。
そうね、手紙を。
この曲はチェット・ベイカーの作った曲ではないけど、チェット・ベイカーが歌うこの曲が好きです。
私が生まれる40年も前に書かれた詩とメロディー。
美しいですね。
実に秋ですね。
2012年9月3日月曜日
things are so clear and good to be loved
ついさっきまで書こうと思っていたことがあったんだけど、先に洗濯物でも干すかとしている間になんだっけ?となった。
あーまたどんどん失っていくんじゃんかよーと思った。
朝iPodから久しぶりにno starが流れてきて、やはり原点はシーガルだなぁーとか思ってた。
地下のライブハウスで音楽を聞いたりお酒を飲んだり男の子と目だけで微笑みあったりする日々が今の私の、じんわりと退屈な日々を作ったんだと思うと考え深い。
そしてこの先どれぐらい多くのことを失えばいいのかよくわからない。
でも全然悲しくない。
私は服を買うのがすごく好きなんだけど(ちょっとどうかしてるぐらい)、今日も欲しい服があったので袋から出して広げたり触ったりしていたら女の子が近づいてきて「また服買うんですか?もしかして浪費家ですか?」と聞かれたんだけど、そうですねぇとか答えてたら「どうしても欲しい服とかないなぁ。」って。
「今は服とか物にお金使うより、人と会ったり美味しいもの食べたりお花習ったりしたいなぁ」って。
よくわからないんだけど、私ものすごく色んな人と会うし美味しいご飯食べるのも作るのも好きだし、習い事はしてないけど美術館行ったり公園に行ったり山に行ったり街を歩いたりするの好きだし写真のことずっと考えたりしてるんだけど、それとはまた違うことなのかしら?
と思ったけど、素敵なことですねぇって答えた。
どうしても欲しいものなんて、もちろん私にも無い。
ただがっかりしたくないだけって感じなんだけど、まぁいいや。
だんだん外気温が下がってくると意識がクリアになってくる。
なんというか覚悟みたいなものを感じる。
冬の寒さの中に一人で居ることに対して、しっかりしようという決意みたいなものを感じる。
暖かい服を着て手袋をしてブーツを履いて。
金属のカメラはすごく冷たくなるんだよなー。
あーまたどんどん失っていくんじゃんかよーと思った。
朝iPodから久しぶりにno starが流れてきて、やはり原点はシーガルだなぁーとか思ってた。
地下のライブハウスで音楽を聞いたりお酒を飲んだり男の子と目だけで微笑みあったりする日々が今の私の、じんわりと退屈な日々を作ったんだと思うと考え深い。
そしてこの先どれぐらい多くのことを失えばいいのかよくわからない。
でも全然悲しくない。
私は服を買うのがすごく好きなんだけど(ちょっとどうかしてるぐらい)、今日も欲しい服があったので袋から出して広げたり触ったりしていたら女の子が近づいてきて「また服買うんですか?もしかして浪費家ですか?」と聞かれたんだけど、そうですねぇとか答えてたら「どうしても欲しい服とかないなぁ。」って。
「今は服とか物にお金使うより、人と会ったり美味しいもの食べたりお花習ったりしたいなぁ」って。
よくわからないんだけど、私ものすごく色んな人と会うし美味しいご飯食べるのも作るのも好きだし、習い事はしてないけど美術館行ったり公園に行ったり山に行ったり街を歩いたりするの好きだし写真のことずっと考えたりしてるんだけど、それとはまた違うことなのかしら?
と思ったけど、素敵なことですねぇって答えた。
どうしても欲しいものなんて、もちろん私にも無い。
ただがっかりしたくないだけって感じなんだけど、まぁいいや。
だんだん外気温が下がってくると意識がクリアになってくる。
なんというか覚悟みたいなものを感じる。
冬の寒さの中に一人で居ることに対して、しっかりしようという決意みたいなものを感じる。
暖かい服を着て手袋をしてブーツを履いて。
金属のカメラはすごく冷たくなるんだよなー。
2012年8月22日水曜日
夢の話
今朝見た夢は怖かった。
この手の夢は定期的に見る。
夢についての記憶で一番古いものは5,6歳の頃。
いつも同じ悪夢を見て夢遊病みたいになって夜中泣いていたのを覚えている。
それは大人になって白昼夢になった。
白昼夢を見るというのはすごく変な感じであれを誰かに説明するのはとても難しい。
意識はあるけど脳が完全に夢を再現しているし、時間の感覚がおかしくなる。
あ、白昼夢だなぁと思うんだけどそれを止めることは難しく気づいたら終わっている。
時間の感覚がおかしくなった時色んな事を試した。
すごく早く動いてみたりゆっくり動いてみたり。
でも脳は夢を再現しているせいだからかよくわかんないが感覚が無い。
白昼夢というのはdejavuの逆のような感覚。daydream、あれを誰かに説明するのは難しいし頭おかしいんじゃないかという感じになる。
夜中に目を覚ますと居間に髪の長い女の人が立っていた。
怖くなって母親を起こすと、母親のドッペルゲンガーだけが起きてしまった。
怖くなって布団を引っ張ろうとしたら、布団の上に大きな氷のようなものが載っていて上手く布団を引っ張れなかった。
髪の長い女の人は知らない間に消えていた。
母のドッペルゲンガーも、もう寝なさいと言って寝てる母親のもとに戻った。
というのが、白昼夢と同じぐらい古い夢の記憶ではないだろうかと思う。
夢ならば、だけど。
この手の夢は定期的に見る。
夢についての記憶で一番古いものは5,6歳の頃。
いつも同じ悪夢を見て夢遊病みたいになって夜中泣いていたのを覚えている。
それは大人になって白昼夢になった。
白昼夢を見るというのはすごく変な感じであれを誰かに説明するのはとても難しい。
意識はあるけど脳が完全に夢を再現しているし、時間の感覚がおかしくなる。
あ、白昼夢だなぁと思うんだけどそれを止めることは難しく気づいたら終わっている。
時間の感覚がおかしくなった時色んな事を試した。
すごく早く動いてみたりゆっくり動いてみたり。
でも脳は夢を再現しているせいだからかよくわかんないが感覚が無い。
白昼夢というのはdejavuの逆のような感覚。daydream、あれを誰かに説明するのは難しいし頭おかしいんじゃないかという感じになる。
夜中に目を覚ますと居間に髪の長い女の人が立っていた。
怖くなって母親を起こすと、母親のドッペルゲンガーだけが起きてしまった。
怖くなって布団を引っ張ろうとしたら、布団の上に大きな氷のようなものが載っていて上手く布団を引っ張れなかった。
髪の長い女の人は知らない間に消えていた。
母のドッペルゲンガーも、もう寝なさいと言って寝てる母親のもとに戻った。
というのが、白昼夢と同じぐらい古い夢の記憶ではないだろうかと思う。
夢ならば、だけど。
2012年8月15日水曜日
you can't always get what you want
さっきベッドに寝転がって本をペラペラめくってた時に、なんだこの感じは・・・と思って気づいたんだけどめっちゃ退屈だった。久しぶりに退屈だった。どう考えても退屈だった。
良い兆候なのか悪い兆候なのか分からないけれど、ひとりで退屈を実感するのは久しぶりだったので何か書いて見ようと起き上がった次第です。
どうせ休日なので酒でも飲みながら書こうと思う。
白ワイン+ロックアイス+トニックウォーター
開けて時間の経ったワインはなんかで割れば色々なんとかなる。
ペラペラと項を繰っていて目に止まった言葉などを。
「男と女が別れるというときってのは、リアリズムの極致で別れるのさ」
ベール雲:<前略>天気の変化:この雲が現れると天気が悪くなるが、これに伴った悪天候には、極めて局地的な場合と全般的に及ぶ場合とふたつあるので注意を要する。
部屋や家具は一見とるに足りないもののようにみえるが、よくもあしくも人間の社会的心理的態度と密接にむすびついており、無関心な心にはとりとめもなく拡散してしまうものを、もっと緊密に凝縮した縮減模型のように読むことができたのである。この3つは全然別の関係ない、お互い交わること無いだろうなという種類の本から抜粋してます。
でも、こういうバラバラの言葉を人間は知識として経験としてイメージとして内包して会話の中に散りばめてくるからややこしいんよね。
男女の話をしているのか、雲の話をしているのか、造形について語っているのか。
あなたは一体なんの話をしているの?
と推測する時間が美しいと私は思うよ、とかつて言いましたけどもう一度言いましょう。
でもそういう曖昧な世界で曖昧なことを言っていると曖昧なまま世界が終わるしそういうことを全部引き受けるか捨てるか、みたいな結果的にリアリズムの極致で別れることになるわけ。
メタファーで物事を語るのは非常に危険が伴うだろうと思う。
曖昧で柔らかいものから別の強固な意思、みたいなものを感じることはできるけどそれはやはり危険だろうと思う。 それは単にレトリックの問題にすり替わることもある。
その雲が現れたら局地的に雨が降るかもしれないし全般的に雨が降るかもしれないから注意しなくちゃいけないし、部屋に置かれた家具からあなたの無意識を読み取ることも出来るかもしれないわけ。
それを全部一緒に考えるとヤバイことになる。
ということを簡単に言うにはどうしたらいいのかなーと思った結果、何も言わないし自分で考えるべきだと思う。
結局のところ、何かを得るために我々は多くを失うしかないし何を選んで何を失うかぐらい自分で考えりゃいいし、なんかそういうのを誰かに説明したいと思う、そういうのを恋やら愛やら風邪やらと呼べば良いと思う。
といったこの文章もひとつのレトリックであり、メタファーである可能性がある。
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